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毎日を大切に生きて生きたい
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放射線の続き

放射線も無事に終わり、ホルモン療法も耐え難い副作用もでず、順調そのものの経過をすごしていた夏のある日・・・朝起きると腰が痛くなった。
それは診察日まで続いた。
嫌~な予感がした。

最初の先生の口癖が「痛いとかは誰でもある。
それが原因もわからずっと続いたら調べる必要がある。」といつもおっしゃっていた。

もう何月だったか忘れてしまったのですが確か7月か8月の診察日に先生に腰痛が続いているんです。
思いつくのはプールウォーキング1回だけなんですけどとたずねた。

先生はどこら辺が痛いの??と触診。

そして、「mimosaさんは手術のあとでまだ骨シンチしてないよね~術後の様子1回とっておいたほうがいいね。」
ということで骨シンチが追加になってしまいました。
恐る恐る先生にその検査は転移の可能性があるから撮るんですか?
とたずねるとそれも含めて撮りましょう。
でも転移しやすい場所と少し違いますが念のためはっきりさせた方が安心でしょう?


などと言われた記憶があります。
そして2度目の骨シンチ。
結果を聞きに。

がが~~ん!
先生いわく、黒い集積がある。
はっきりさせる為に今度はMRIを撮りましょう。

世界が真っ暗になっていくのがわかった。
ひぇ~~
こんな早く転移したらこの先どうなるん??

○と言う言葉が脳裏に浮かんだ。
なんともつらいひと月を送った。

そしてMRIの結果。


診察室に入ると先生がにこにこしていた。
やった~~v
なんとも無いんだ。
先生の顔を見たらわかった。

集積があるんだけれど腫瘍とは断定するものは全く無いと放射線科の画像専門の医師と相談の上、白と断定したと言うことでした。

未だにこの骨盤の痛みはある。
痛かったのは左の骨盤の後ろ側。
集積があったのは左の骨盤の前の1番出っ張ったところ。
集積のあったところのちょっと前は押すと痛い。



痛みと場所を記憶に残す。
骨シンチとMRIで白だった痛みと場所。

毎回検査の時に痛かったり違和感のあるところを覚えて置くようにしている。
この痛みと場所はいついつのCT で白と・・・


来月GW開けの診察で1年半の検査の予約を入れる。
婦人科も1年目の検査の予約。
肩こりからなのか頭痛がするので1度先生に脳も検査してもらえるか聞こうと思う。

ここまでが私のしこり発覚から今までの経過。

そうそう、2ヶ月前に経口薬がタスオミンからアリミデックスに代わりました。
現在ひざの関節が痛い。




そしてたぶんやっぱりこの先生で行くか~

私が通ってる病院・・・もう少ししたら民間に変わるの。
そう例の病院です。
先生が転勤やらで閉鎖した診療課もあるし。

今の先生もいつまでここでやってらっしゃるかはわからない。
たぶん病院が新出発の時か私が最悪転移再発した時は病院を変わろうと思う。

今時期じゃないと結論しました(というか私の第六巻を信じて~)。
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2006年1月の半ばから放射線。

25回。

入院していた時に同室の方からいろいろ聞いていたけれど最初の照射位置を決めるときは緊張した。


脇の方からやけどが出てくるよと同室だった方から言われてたから一生懸命脇の方を冷やしてた。

ちょっとひりひりする?って感じで20回を過ぎたあたりから脇ではなく乳頭がジュクジュクしてきた。

おぉ!これか~!!

痛みも何も無かった。

ジュクジュク気持悪かっただけ。

25回終了。

技師さんたちがいい方だったので25回楽しみに通えたw


終了してから乳頭のジュクジュクが本格的になった。

結構1ヶ月ぐらい続いたんじゃなかったかな?

色が変わった皮がボロボロとむけた。

無理やりは取らなかった。

自然に皮が取れるのを待った。

お薬も何も塗ることなくいつの間にか治った。

・・・と言うことはほんと軽かったんだろうな?

体調的にも何も変化無し。

しかし!1年以上経った今でも照射した四角い範囲が日焼けしたように色が変わったまま。

だんだん薄くなってくるよって放射線の先生がおっしゃってたけどまだはっきりわかるよ。

1年ぐらいで皮膚がとてもかゆくなった。

かゆいところは色が日焼けしてるところだったのでまだ放射線の影響って抜けてないんだとわかる。

乳房の痛みとかはこの放射線の頃からあった。

痛みがあるときにCTとか検査して異常なしだったのでこの今の痛みはたぶん放射線の影響だろうと言うことだ。

放射線の影響はかなり長い時間あるそうです。





昨日の雨のお天気はとっても堪えた~

頭痛と肩こり。。。

低気圧が入るたびに肩が凝り頭痛がするときがある。

ホルモンする前からこの症状はあったけど昨日は朝からしんどかった~~

今日はお天気、気分爽快ww

日差しが気持いい♪
私が入院した部屋は6人部屋だった。

全員乳がん患者でした。

初めての手術での患者は私と前に書いた方と2人だけ。

後の4人の方は皆抗がん剤での入院でした。

だいぶ後で理解できたことなんですがみなさん転移再発されての何回目かの抗がん剤だったようです。

でもほんとみなさんいい方ばかりで明るくて親切でした。

その後入れ替わりでどひゃ~~な方も入院されてきたんですけど(笑)

今考えればこの病気に無知だった私。

心無い言葉を発していたのじゃなかったかとひやひやしています。

皆さん元気かな?とあの何日間かだけのお付き合いだったけど同志の様な気持ちです。




ホルモン療法が始まった私。

今思えばあれって副作用の1部だったのかなと思うけれど。

乳がんリングをたどっていろんな方のHPを見ました。

そして自分の病気の怖さを実感してどーーーーっと落ち込んだのです。

それからもうけっしてHPはたどれないし乳がんのサイトを開くことは出来ない。

TVや雑誌で目にする癌という文字や言葉が受け入れられずほんと気持がつらい時期がありました。

そんな時に限ってドラマとかもあるんですよ。(コトーとか)

アメリカのTVドラマのERが大好きだったけど見られなくなったのも手術後2~3ヶ月の頃。

そんな時でも平気で救急24時とか癌で死んでいく人のドキュメンタリーとかを見る家人の気持が計り知れませ

んでした。

追い討ちをかけるように携帯メールに入院中1番仲良くなった(唯一アドレス交換した)方からメールが入りまし

た。

開けてみると娘さんでした。

亡くなったという知らせ。

ほんの2ヶ月前病院でばったり出くわし、ちょうど私が風邪を引いていたのでお茶もせずにまたいつでも会える

よ~~って別れたばかり。

信じられなくて信じたくなくてメールを削除してしまいました。


今ならお別れに行ってたかもしれない。


そんなこんなでお気に入りに入れていたhoppeさんのBLOGも削除して乳がんの人とは関わらないようにほぼ

1年すごしたのです。




入院中の話のつづき。


年が明けて2006年1月5日。
初の外来。

これからの治療方針が決まる日。
はい、もちろん私ひとりで行きました^^;

実はね~
私ちゃんとした病理、聞いてないの。

最初に聞かなかったから今更聞くのが怖くなった。

このときには病理結果でいろいろあるのすら知らなかった。
どっひゃ~~もんですよね。。。

先月の受診日の時に先生に聞いてないんですよって言ったら、教えるよ~~って言われたんだけど
いえいえ先生、今更知りたくないよって逃げちゃいました。

今の主治医とこの初の外来の先生は別人です。

私の結果・・・初外来で聞いたことは
しこりの大きさは3センチ
温存ぎりぎりの大きさ。
切り取った端にがん細胞があったのでまたその周りを何センチか切り取った。
なので乳首がもしかしたら壊死する可能性がある。
リンパ節に転移はない。

ホルモンがプラスなのでホルモン療法が使える。
抗がん剤無し。
放射線25回。


・・・とこんだけです。

初のゾラの注射を打って・・・この最初のが1番痛かった。
どうも神経に当たったようだ。
それにこの先生何にもなしでぶすっと打ったよ。

あとからゾラは痛いので先生によっては麻酔をしてから打つらしい。
今は冷やしてから打ってます。

この痛み2週間ほどずきずきした。
次回がほんと恐怖だったよ。

そしてそして癌の種類もこのあと何日かして生命保険に提出する書類で知ることとなる。

硬癌でした。

放射線の予約がいっぱいでなかなか取れず1月の末近くから確か始まった。

今思えば2月に集中して放射線にかかれば高額医療ももう少し帰ってきたのにな。
月をちょうど半々でまたいでしまったのだ。
初めての手術のつづき


わたしはほんと元気な入院患者でした。
傷の方もドレーンの抜管も順調に進み、食欲もりもり。
睡眠も寝苦しいながらも睡眠導入剤使うことなく。

同室の患者さんもみなさん結構いいかたばかりで。

昼間は面会の友人がいろいろと来てくれて。
ちょっと毎日続いて・・・
ありがたいけどちょっとこれは疲れましたが。

そうそう抜管してからだったかな?ちょっと記憶があいまいなんだけどわき腹の背中側にこぶし大のコブができました。
先生もなにかわからんなぁ?と首を傾げてたけど。
リンパ液??
リンパ液はこんなところにはたまらないって言われるし。
様子を見ようと言ってる間に10日ほどで引きました。

結局何だったのかわからず。

入院期間は外泊も含めて21日間。
退院は暮れも押し詰まった27日でした。

入院期間中1番つらかったのが「ベ○ピ」
あまりそれで苦しむことは日常ないのですが、やはり違う日常とベッドで過ごすこととかでなったんですかね。
ほんと苦しみました。

入院中で体重増えました。


この入院期間ってあとで放射線に通ってる時いろんな病院で手術された方とかとお話しする機会があったのですがすごい長いことがわかった。
皆さん1週間から長くても2週間で退院されている。

そのときの主治医は慎重派だからとは噂には聞いていたのですが。
まぁ、ずいぶん体力も回復してましたので助かりましたけど。

退院は友人に車で迎えに着てもらって無事退院。
その足で買出しに連れてってもらった。

さぁ主婦業が再開です。


そう・・・このあたりはまだまだ脳天気です。
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mimosa
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女性
自己紹介:
2005年11月乳がん告知。12月手術。
現在ホルモン療法治療中。
詳しくは「ワタシ」のカテゴリーを見てね♪
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