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毎日を大切に生きて生きたい
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手術の続き。

入院なんてお産以外初めての経験。
完全入院ハイになっていたように思う。

入院してすぐに細胞診。
これが1番痛かったよ。

私のしこりの大きさは3センチ弱。
ラグビーボールのような形でコリコリしていた。

先生は温存できます。
早期です。
とおっしゃっていたけれどほんとぎりぎりの大きさだったんだね。

と、何ヶ月もあとに調べてわかった。

早期と言う言葉で切ったら終わりって思ってたけれど。
リンパ節への転移とか全く知らなかったから能天気な患者でした。

3センチを超えるとリンパ節への転移の可能性が上がるんだね(大きさには関係ない場合も多々あります)。

術前に骨シンチとかCTとかでも転移はみられなかったのでとっても気持は暗かったけれどあまり悲壮感はなかったのだ。
その上腫瘍マーカーも正常値だったしね。


手術前日麻酔医のお話を聞く。
この病院は救急指定だから救命士の方気管そうかんの練習台になってくれませんかってお話もあった。
が・・・ちょっとびびってお断りした。

今思えばボランティアして置けばよかったかなと思う。


TVドラマで見るような(私はERファンだった。)手術室。
眠くなりますよ~って言葉を聞くか聞かないかで意識がなくなった。

気がついたら元の自分のベッドだった。
集中治療室とかに入らないんだね。

夫が1時間ほど付き添ってくれたけれど出張に出ないといけないので帰っていった。

手術後の痛みも思ったほどではなくあの手術前にはかされた白い血栓防止の靴下と圧をかける機械が気持悪かった。

1度だけ痛み止めの座薬をしてもらった。
朝には結構もう普通だった。

思ったほど大変じゃなかったよ。
麻酔の副作用もなかったしのどもぜんぜん大丈夫だった。

手術前に開けてみて温存が出来ない場合があるって言われていたけれど胸は残った。

乳頭のちょっと上から脇まで1直線。
縫わずにテープで止めてあるらしい。
そして脇の下の方に管が2本。

胸の傷よりこの管が痛いような気持悪かった。

あとは退院を待つのみ!
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手術までの続き。

ちょっと話がそれますが私と同じ日に手術された方の話。

同じ年格好のとっても気さくな方。
ご主人からとっても愛されてる。

ご主人奥さんのことが心配でおろおろしてる。
ずっと病院についていたよ。

彼女は私の前に手術。
しこりの大きさも1センチもないって確かおっしゃってた。

行って来るね~!
がんばってね~~!!

彼女は元気の手術室へ。
4時間ほどって聞いてたけれどしこりが病理でがん細胞が発見されなかったと言うことでしこりだけとって手術が終わった。

そして私が予定より早まって手術室へ入ることになったのだが・・・

良性のしこりと言うことであっという間に退院した彼女。



・・・・が出戻ってきた。
良性と思われる切り取った腫瘍を病理が培養した結果がん細胞が見つかった。


もう私が退院が迫る頃彼女はまた手術をすることに。
全摘。
だんなさんはほんとつらそうだった。
こんなこともあるんだね~

そして私は彼女を置いて12月の27日にめでたく退院。
ほんとは彼女も一緒にめでたく退院だったのに。

お正月も病院で。


そして年が明けて外来で出会ったら帽子をかぶっていた。
なんとリンパ節に転移があって抗がん剤をしてるんだって・・・

え~あなたは私よりずっと早期で速攻元気回復だったんじゃ!?
運命のいたずらとしか言いようが無いよ。

彼女とはその時以来出会ってない。
会いたいな~
元気かな??
だんなさんも。

いつも明るく前向きな彼女。
きっと今も元気だろう!
私はそう信じているよ!!

告知のつづき。

今考えればちゃんとセカンドオピニオンしておくべきだった。
私が手術して今現在治療に通ってる病院は半官半民のこのあたりの拠点病院。

私のほんと信頼している友人の旦那さんがこの病院で悪性リンパ腫を克服された。

なので私にとってはすごい信頼できる病院だったのだ。



12月8日に入院。
いきなり週末外泊で次女の高校受験のための私学の保護者見学に行く。

絶対、風邪を引かないようにと念を押され。
重たい気分で寒空を歩いたよ~

家で1泊して病院に逆戻り。

眠剤もつかうことなく手術前日も眠り今考えると無知とはほんと恐れ知らずなんだ!

午後からの手術。
朝からする前の方が時間が早く終わったので時間が繰り上がる。
なんとか仕事を休んできてくれた夫が見守る中手術室へ。

は~娘たちがリビング集結。
気が散って書けないや。。。
続きはまた後ほど^^;


マンモグラフィーの続き。

24日に市民検診のマンモのフィルムがこの病院で撮影したことを告げて受診。
触診のあと翌々日の26日にもう1度受診するようにと予約を入れる。
確か採血もした。

木曜日、エコーとマンモのフィルムと。
先生のお話を聞く。

ほぼ乳がんであろう。

すぐ入院の予約をとって入院日が決まり次第手術の日を決めることに。

事前の細胞診はなし。
手術の時に病理にまわして黒ならそのまま乳がん手術となる。

そうそう、先生がセカンドオピニオンしますか?
資料貸し出しますとおっしゃった。

セカンドオピニオンも少しは考えた。
でもでも自分の中でここまでラッキーに受診できたのだからこちらの病院にお任せしようとほぼ心は決まっていた。


骨シンチやCTやらの予約をとり帰宅。

帰る前に看護士長さんから「一緒に頑張りましょうね」とガイダンスがあった。
その言葉が1番うるうるきた。

告知は一人で聞いた。
結局泣かなかったよ。



しばらくして病院から電話があってやっと入院日が決まった。

12月8日入院。
12月12日手術と決まった。

もうじたばたしても仕方が無い。
先生を信じて自分の運を信じて年内中にやっつけよう。

決まればぜんぜん恐れはなかった。
なんだかこの頃が1番動じていなかった。


実の母が30年ほど前に乳がんの手術を受けている。
30代。
今70才になってもピンピンしている。
彼女が克服できたんだから私にできないはずがない。
なんだか根拠も何も無い自信があったのだ。

きっかけの続き

しこりに気がついたのが11月11日。

市民検診のマンモの日が11月22日。

ここの病院はマンモの検査技師さんが女性です。
「女性」ってのははずせない!

あの屈辱的な??撮影は女性の技師さんの方がリラックスできます。
もともとあまり胸は大きい方ではないので引っ張って伸ばしてはさんでつぶしてって少し痛かった。

胸の骨にあたって痛かった。

なんかわきの下に変な汗をかいたのを覚えています。
気持悪がらずわきから手を入れてぐぐって挟む板に寄せてくれる女性技師さん。
痛いなんか言ったら罰が当たるよ(笑)
二方向から撮る。
まっすぐ上からペタンと、斜めからペタン。
まっすぐの方が骨に当たって痛かったような・・・
いやいや斜めの方が無理やり伸ばして痛かったような??
でもでも思っていたよりはぜんぜんOKだったよ。

で、すでにしこりに気がついていた私はここにしこりがあるからここを写して下さいとお願いしたのだ。

そして技師さんに(ほんとは技師さんに相談するのはお門違いなんだけど)次の触診までひと月近く待たなくてはいけないのだけれど直接診察に早急に行ったほうがいいですかね~と訪ねてみた。

女性技師さんは早い受診を薦めてくださった。
このフィルムを外科に貸し出すことは可能なので受診の手続きをするように言ってくださった。

帰りしなに外科の曜日を聞き翌々日の24日に受診することになる。

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2005年11月乳がん告知。12月手術。
現在ホルモン療法治療中。
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